35 海岸通り

 「"あの日の約束"、果たせなかったよ…。」
実結は誰とも無しにそう言った。目の前に広がる海を見て。背後にある現実に背を向けて。
 私が馬鹿だって事も分かってる。子供の頃にした下らない約束だって事も分かってる。それに、雄大くんは"あの日の約束"も、私の事も、昔の事全て憶えていないんだよ?それなのに、私は雄大くんを信じてた。ずっと信じてた。だから、傷つけた。他の男の人を好きになっても諦めた。憧れだった幼稚園の先生になる事も諦めた。"あの日の約束"を、雄大くんを信じて、私は京急の車掌になった。…本当に馬鹿だった。信じていれば来てくれる。愛してくれる。そんな物語みたいな事有る訳無いじゃない。叶う筈無いって分かってた。何れはこうなる事も分かってた。じゃあ、何故今日まで雄大くんを信じ続けたの?恋も夢も憧れも全て犠牲にして、残された私は涙も流せずに、約束の地に唯呆然と立ち尽くすだけなのに。最も信じた、最も愛した雄大くんまでも傷つけて。
「バカ。」
実結は自分に、自分の全てにそう言った。打ち寄せる細波と海の香りが、実結の黒髪を唯靡かせていた。

 ―

「実結、今、行くからな…。」
俺は一人、聞こえる筈の無い実結に言った。臨海公園を目指して直走る、スカイブルーの京葉線の中で。
 俺が馬鹿だった。全てを捨てて俺の事を心の其処から信じてくれた実結を傷つけた。何も知らない、憶えてもいないくせに。実結はずっと、ずっと俺の事を信じてたんだぞ?何が「あんたの知っている雄大じゃない」だ。ずっと信じてくれた人を、ずっと愛してくれた人を傷つけて何になる。結局、カッコつけてただけだ。本当は、実結に認めて欲しいのに。愛して欲しいのに。
 虚勢や見栄なんて纏めて殴り捨ててしまえば良い。信じてくれた実結の為。愛してくれた実結の為。大好きな実結の為。

 −今、行くからな―

 ―

 雄大くんと始めて出逢ったのは3歳の時。物心付いた時にはもう既にお父さんは居なくて家族はお母さん1人だった。だから男の子っていう存在に飢えていたのかもしれない。そんな中出逢ったのが雄大くん。内気だけど優しくて、カッコよくて、傍に居るとなんだか安心できて…一言で言うと、「好き」だった。幼稚園の時も、小学生の時も。中学生になってからお互いに不思議な距離が出来始めて、周りが彼氏彼女が出来たっていう噂になると、誰かに雄大くんを取られてしまうんじゃないかって…私の事なんか振り向いてくれなくなるんじゃないかって…。私の事なんか、忘れちゃうんじゃないかって…。
 だから中学3年生の誕生日、2人が一番最初に出逢った場所、葛西臨海公園で約束した。9年後の4月28日。ここで、結婚しようって。
 でも、それも叶わなかった。気付いたら、私は独りぼっちだった。支える物も何も無く、虚しく一定のリズムで聞こえる細波の中で泣きたい位の無力感に襲われて、私は今生きてるって事さえ信じられなくなった。

35話続き


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