いつからだろうか。自転車で嵐電を抜かそうと走り始めたのは。

蚕ノ社から三条口までの併用軌道区間を、電停を同時発車した嵐電を全速力で追い抜こうとする。


そして、失敗する。



 For love. For you.



 俺には意中の女の子がいた。名を三門 有加(みかど ゆうか)といい、俺の家の隣で八つ橋屋を営んでいる夫婦の一人娘だった。歳は俺よりも2つ上で、俺が千葉から此処京都太秦に越してきて、一番最初に出逢った人間だった。

 それから、一番最初に好きになったのも。


 どんなに俺が彼女の事を想おうが、有加には全く関係の無い事だった。スポーツ万能で成績優秀、しっかり者でお人よし。おまけにタカラジェンヌお手上げの容姿を兼備えた彼女など、とっくの昔に彼氏もいるであろうし、俺の存在など全く眼中に無いだろう。いい友達、いい先輩としてはそれで十分なのかもしれないが…。でも、どうしても俺は彼女を自分の物に、いや、他人の物でも良いので幸せにしてあげたかった。勿論、今のままでも幸せなのかもしれないけど。

 そんなやり場の無い遣る瀬無い想いが、俺の自転車を走らせる原動力になったのかも知れない。




 蚕ノ社の電停を、嵐電こと京福電車の最新鋭車輌モボ2001系が停車している。このドアが閉まった瞬間、俺はペダルに思いっきり力を入れる。特に競技用に作られた訳でもない、近所のスーパーで買った自転車で。

 「戸締めよし!」

運転士の喚呼が聞こえる。振り返る。エアーの音と共に片開きのドアが勢い良く閉まる。…スタートだ。

 電車はその特性上、一定の速度に加速するまでに時間が掛かる。つまり、加速している間にスタートダッシュを切る。ペダルに全身の力を込めて。有加への想いをぶつけて…。



 暫くはリードしていた。ふと、後を振り返る。最高速度まで加速した嵐電が、見る見るうちに迫ってくる。…走れ。走れ。胸の内に、有加の元へ走る自分を描いて…。だが、嵐電が迫ってくる様子がありありと解る。京福で唯一VVVFインバータを装備しているモボ2001系の、その独特な変調音が直ぐ其処まで聞こえて来る。段々大きくなる。


 ―抜かれる!!―


 その瞬間、変調音は下り調子に変わった。モボ2001系は速度を落とし、どんどん離れていった。目の前には山ノ内の電停が姿を表していたからだ。ここぞとばかりにペダルを踏む。嵐電は停まった。俺は次第に加速していく。勝てる。心の中が異常な程の自身に満ちていた。俺は、さらにペダルをこぎ続けた。



 でも、そう甘くはなかった。まるで俺を追い駆けるかのごとく、モボ2001系は迫ってきた。

「馬鹿な…あんなに差をつけたのに!」

当然といえば当然だった。幾ら自転車とはいえ、幾ら路面電車とはいえ人間が電車に勝るスピードを出せるはずが無い。迫る。来る。今日も、嵐電に勝てないのか?

 …有加。有加の元へ走るんだ!

For love.For you.続き


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