14 草原

   8月6日

 いつものように車掌乗務を終えて久里浜乗務区のドアを開けた。今日は終電乗務だったので泊り込みである。真夜中の風が目にしみる。乗務を終えたとたん睡魔が襲ってくるから不思議だ。
 速やかに点呼を済ませ仮眠に入る。久里浜乗務区の仮眠室で、俺はぐったりと寝てしまった。

   ???ここは? どこだ?
 目の前にはただ広い草原のような風景が広がっている。
 「雄大くーん。こっちこっち。」
 「どうしたー?」
 俺を呼ぶ声がする。手招きをする少女と少女の元へ走る少年。どちらも中学生ぐらいだ。

   ???何なんだ、これは?

 「あそこのベンチで一休みしよう。」
「うん。」

   ???またか?何だ?これは?

 「なんか、中学生になってから、お互いにぜんぜん話してないよね。」
「ああ。」
「小学生のときはただの友達だったのに、最近、雄大くんのこと見るたびにドキドキしちゃって・・・。」
「えっ?」

   ???話は、まだ続くのか?こういう話は嫌いだ。この夢、早く終われ。

 「大人になったら、結婚しよう。」
「は!?」
「大人になったら、結婚しよう。約束だよ。」
「う、うん。」
「絶対、約束だよ。」
「実結(みゆ)・・・。」
「雄大くん、大好き。」

 「・・・終わった?」
目の前には仮眠室が映っていた。俺は一人しかいない。時計は2時11分を指している。
「夢か・・・。何なんだ、一体。」
そういい残すと、俺はフラフラと仮眠室を出た。給湯室で、水か何かを飲もうと思い足が向く。
 給湯室の電気がついている。そこには、富浦さんが立っていた。
「ああ、戸部くん。」
「こんばんは。」
「・・・。眠れないのかね。」
「はい。」
富浦さんは湯飲みにお茶を注いでくれた。俺はそのお茶を飲みながら、こう尋ねた。
「富浦さんは、変な夢見ます?」
「変な夢?」
「やけに現実じみていて、夢にしては鮮明な・・・。」
「うーん。見たことないけどね。」
「そうですか。」
俺はお茶を再び口に入れる。しばらくの沈黙の後、
「過去のことが夢に出てくるというのは良くあるけどね。」
「過去・・・。」
でも、俺は過去を知らない。俺がどうやって生まれ、どうやって育ったかすら覚えていない。
「あんまり考えない方が良いね。さ、仮眠室へ戻って、ね。」
富浦さんはそう言うと、給湯室を後にした。俺は再び眠りについた。

「へぇー京急って速いんだねー。」
「うん。凄く飛ばしてるでしょ。」

   ???またか?いい加減にしてくれ。

「京急ってだいぴょんみたいだね。かっこいい。」
「ありがとう。」
「だいぴょん、京急の運転士さんになるんだよね?もう会えないのかな。」
「そんなことないさ。ずっと一緒だよ。」

 「ピーッ、ピーッ、ピーッ」
仮眠室のアラームが鳴り響く。朝だ。2回も不思議な夢を見て、全くすっきりしなかった。
 寝ぼけ眼の俺に、亀戸さんが走ってきた。
「甲種電気車運転免許の試験、今月中にやることに決まったからね!」
甲種電気車運転免許とは、電車の運転免許である。ついに、俺は試験を受けられるようになったのだ。喜びを感じ心の中で小さくガッツポーズをした。
 
 帰りは2100形だった。まだピカピカの2100形は新車のにおいがする。そういえば、愛香はまだ2100形に乗った事がない。今度乗せてあげよう。京急の威信をかけた車両に6歳児はそのような反応を示すだろうか。
 俺は北品川に停車する普通車に乗り換える京急蒲田に着くまで、ぼんやりと窓の外を眺めていた。しかし、目に浮かぶのは夢の中の少女達だった。際その夢に出てきた少女は中学生ぐらいで愛香にとても似ている。結構童顔だった。後の夢に出てきたのは前にも何度か夢で見た気がする。
 俺はしばらく考え込んだ。しかし、考えても答えは出るはずはなかった。訳の分からない事は、嫌いだ。
 
 家のドアを開く。愛香はまだ学校に行く前である。鉄道員の不規則な生活を実感する。愛香は口にパンを詰め込みながら
「おかえり。」
と言ってくれた。
「ごめん。」
不規則な勤務のせいで迷惑をかけてしまったことを小さく詫びた。
「大丈夫だよ。おつかれさま。」
愛香は慌しくランドセルを背負うと、
「遅刻しちゃうー!」
最後、愛香が出発する前に頬にキスをして俺は、
「行ってらっしゃい。」
と送り出した。
「行ってきまーす!」
愛香は笑顔を見せると、学校へ走っていった。
「毎日、癒されっぱなしだな。」
俺はそう呟くと、朝食を取り始めた。俺の中の砂漠は、愛香というオアシスで緑あふれる草原になった―

 愛しい愛香に感謝して、甲種電気車運転免許の試験に臨まなければ・・・


第15話 Verde Rayo へ

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