15 Verde Rayo

 そして、半月が経った土曜日、試験当日がやって来た。準備は万全。後は受けるのみ。何時も通りアルミサッシから朝陽が入ってきた。未だ寝息を立てている愛香をそっと起こすと
「おにーちゃん、きょーしけんー?」
目を擦りながら愛香はこう尋ねた。
「そうだよ。朝ごはん食べたら直ぐ行くから。」
続けて俺は
「だからお留守・・・」
「待って!私も行って良い?」
「行くって、試験中は中に入れないぞ。」
「一緒に電車乗るだけ。」
俺は小さく頷いた。

 「お兄ちゃん。赤い電車の運転士さんになるんだよね。」
愛香はふと、こう囁いた。
「まだ決まった訳じゃないさ。」
朝ラッシュが始まる品川のホームで、俺は何故か照れ臭さを覚えながらもこう言った。
 愛香と話しているうちに電車は来た。快特三崎口行き、2100形だ。
「この電車綺麗。新しいの?」
愛香は目をキラキラさせながら尋ねる。
「去年入ったばかりの新車だよ。」
「椅子が二人掛けだー!ねぇ、一番前行こ!」
京急の最新鋭車両は、愛香の好奇心を擽った。そして、その独特の走行音に興味を示しながら快特は品川を後にした。

 上大岡を過ぎた辺りで、愛香はこう言った。
「お兄ちゃんは、お嫁さんとか欲しくないの?」
「?」
不意に出た愛香の質問に俺は暫く考え込んだ。何と言えば良いか分からないもどかしさを覚えたが、俺は小さく
「愛香がいるから大丈夫。」
等と言ってしまった。愛香はその言葉に疑いの目を向けながらも、次の言葉を発した。
「今日、早く帰ってきてね。」
「なるべくそうするけど…何で?」
俺の問いかけに、愛香はうつむきながら「えへへ」と笑って見せた。
 2100形は、久里浜へ順調に走っていく。

 久里浜のホームで愛香と別れた後、俺は乗務区へ急いだ。いざ、甲種電気車運転免許試験へ―

 「そこまで」
試験官は合図した。受験した社員が部屋から立ち去ると試験官は俺を呼びつけた。
「戸部、後で掲示板を見ろ。」
「は、はい。」
訳が分からなかった俺は小走りで掲示板へ向かった。其処には、こう記されていた。
「久里浜乗務区 車掌 戸部雄大 9月1日より新町乗務区に転勤を命ずる。」
「転勤・・・。」
まだ入社してほんの少ししか経っていないというのに転勤か。しかし、特に何も感じはしなかった。俺は暫くその場で考え込んだ。新町か・・・。今までより家に近いな。
 突如、後から肩をたたかれた。亀戸さんだ。亀戸さんは掲示板に眼をやった後、俺にこう言った。
「へぇー。新町か。あそこは良い所だぞ。頑張って。」
「はい。」
一息おいた後、亀戸さんは
「そうだ、これから昼、一緒に食わない?」
「明け(前日の夜に乗務が終わり、翌日の朝退社する事)だったんですか。別に構いませんよ。」
「そうか、じゃあ行こう。転勤のお祝いだ。」
まさか、昼間から飲むんじゃないだろうな。

 北品川に戻り、「追浜壮」の隣にある食堂「笠幡屋」。下町の風情溢れる大衆食堂で小ぢんまりとはしているが値段が安いため、よく愛香とも訪れるところだ。
雑談をしながら亀戸さんと食事していると、食堂にあるテレビが目にとまった。今頃の時間帯はどんな番組をやっているか知らないが何となく見ていた。画面にはこう映った。
「あのCMでおなじみの天才子役に突撃取材!」
ぼんやりと見ていたが不意に、度肝を抜かされそうになった。画面に映ったのは紛れも無く愛香だった。スタジオでいろいろと取材される愛香はその度に笑顔だった。
「あれ、愛香ちゃんじゃん!」
亀戸さんも気づいたのか、テレビ画面を指差して言った。
 テレビではアナウンサーが愛香に対してこんな質問をした。
「今回のCMで一番大変だったことは?」
「えっと、あの雪の所。あの雪本当は塩(テレビなどで雪を演出する際、雪の代わりによく塩が使われる)で、体の色んな所に塩が入っちゃって大変だった。」
愛香は笑顔で苦労話を語った。とても楽しそうだった。

 昼食を終えて家に戻ると、先ほどの天才子役は家に戻っていた。テレビに映った際に何故か遠くへ行った感じがしたが、何時もと変わらぬ愛香の可愛さに今日も迎えられた。
「お兄ちゃん。お帰り!」
愛香はそう言うと何時もなら抱きついて来る筈だった。が、今日はその場で立ったままだった。愛香は両手を後ろにやり、矢鱈ニヤニヤしながら此方を見ている。
「如何したの?」
俺は尋ねた。
「えへっ。お兄ちゃん、はい。これあげる。」
愛香が渡した物は、四つ切の画用紙に描かれた絵だった。赤い電車と、俺と愛香が描いてあった。
「ちょっと早いけど、お兄ちゃんが赤い電車の運転士さんになるから、私頑張って描いた。」
俺は「ありがとう」という前に、愛香を抱きしめた。沢山のテレビに出て、そしてこれからも出るであろう天才子役としての愛香を、一瞬でも遠い存在と思った俺が馬鹿だった。だから、俺は力いっぱい抱きしめた。愛香の笑顔はテレビの時と変わらなかった。しかし、やっぱり俺の妹なんだ。と改めて実感した。
「愛香は俺の妹だよね。」
「? う、うん。」
不思議そうに見つめる愛香がまた、可愛かった。

 8月31日、試験の合格通知が届いた。あの絵と同じように、愛香が手渡してくれた。
明日から、京急の運転士だ―
プレッシャーよりも、これから埋める愛香の宿題「あさがおのかんさつにっき」の方が大変だ・・・。


第16話 夜のストレンジャー へ

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