19 ホリデイ

   5月17日

 「ホリディ」。それは、休日を意味する言葉である。しかし、今日のカレンダーの文字は黒だった。北品川の朝の忙しさと隔離された俺は、改めて鉄道員の不規則な勤務実態を感じる。五月の初め、月曜日の朝。久しぶりに愛香ともゆっくりできる。
 愛香はパジャマのまま、赤いランドセルを引きずりながら卓袱台の前に座り
「お兄ちゃん。ご飯。」
と、今にも眠そうな声で俺を急かした。
「愛香、ちゃんと時間割揃えたのか?」
いつもに増して眠そうな愛香に、俺は確認を促す。が、愛香は朝食を前にして卓袱台の上に腕をつき、2度目の眠りに入っていた。そんな愛香に目をやった後、俺はランドセルの中を確認した。
「月曜日、国 算 体 音」
ランドセルのふたの裏側にある時間割表を見ながら中身を点検していく。過去を忘れた自分が、何故か懐かしさを覚える作業だった。
「愛香、国語のノートが入ってないぞ。」
生返事をする愛香に、俺は仕方なくノートを手に取った。ここまでは、日常と何一つ変わらない光景だった。俺はそのノートをパラパラとめくり始めた。
「!」
中に7ページほど破けている。それも意図的に破られたような形跡だ。
「愛香、これ、どうしたの?」
愛香は電気が走ったかの如くノートを奪い隠した。
「これは・・・。その・・・。あの・・・まちがって破っちゃったの。」
タジタジとした愛香は、急いでランドセル中にノートを入れると朝食を片付け始めた。漫画のように見え透いた嘘をつかれた事に、怒りよりも悲壮感が湧いた。
 愛香は、いつもの様に出かける直前、
「行ってきます。」
と、言い家を出て行った。まだランドセルの方が大きく見えるその背中は、ひどく悲しさに溢れていた。

 朝食を取った後、俺はアパートの窓から船だまりをぼんやりと眺めていた。水面に映るのは、愛香のことばかりだった。あんなに正直で明るかった愛香が、何故嘘をついたのだろう。何故嘘をつかなければならなかったのだろう。
 ふと、ここ最近の愛香の様子を思い出す。たまに、「男の子と喧嘩した」と言い張って顔に痣を付けて帰ってきた。よく「消しゴムが無い」、「教科書が無い」と探し回ったこともあった。そういえば最近、食欲もなくなってきた。学校生活において、最近の愛香はこれといって笑った例が無い。月に一度ぐらいあるテレビの収録は、行く度に笑顔だった。それも営業用スマイルではなく、心から笑っている笑顔だった。
「学校か・・・。」
俺からは見えない学校という場が、やけに気がかりだった。

   ???

「はじめまして。私、谷・・・・・・・・あ。」

   ???えっ、今何て言ったんだ。誰だ、お前。

 セーラー服を着た見覚えのある女の子が立っている。ここは廊下?高校?

「えっ?」
「私、・・・・・・・・・・・・・・です。

 はっとして我に帰った。最後はフェードアウトした奇怪な夢。これで何度目だろう。俺は睡魔に対向する余地も無く、瞼を閉じた。

   ???

「清新第一小学校卒業文集"ひかり"」
「これが僕たちの文集?」
「雄大くんの読んであげる。」
「えぇ!いいよ。」
「恥かしいんだー!」
「うるさいなぁ。そうだ、僕が実結ちゃんの読んであげるよ。」
「うん。」
「将来の夢 6年1組 上田 実結   私の夢は、幼稚園の先生になることです。・・・」

 今、実結って言ったよな。俺が何で実結と一緒に居るんだ?それも小学生時代に。
 気づくと、13時を周っていた。仕事の疲れが出たのか、5時間も眠っていたらしい。俺がテレビの電源を点けると共に、愛香は帰宅した。
「ただいま・・・。」
その声は、いつも聞く元気な愛香の声ではなかった。
「どうした。そんな傷だらけになって。」
俺はしゃがんで愛香と同じ目線になりこう言った。愛香は、口を噤んだままだった。品川の喧騒の真っ只中で、俺たちは沈黙した。額や腕、脚等に沢山の擦り傷を負った愛香を、見るのも辛かった。こういうのは苦手だ。パスだ。
「愛香、えみり姉ちゃんのところに行っておいで。」
鮫洲さんの長女、まなみちゃん。「追浜壮」第2世代で一番年長の女の子で今、6年生だ。
「うん。」
愛香はゆっくりと頷くと、アパートの鉄階段を下りていった。

 俺が真っ先に思い立った事、それは「情報収集」だった。愛香と同級生の美咲ちゃんなら何か知っているかもしれない。俺は一筋の可能性を信じ、五反田さんの家へ向かった。五反田さんの部屋の表札には「片倉・五反田」とある。確かに"五反田"は五反田さん一人だったのだ。
「美咲ちゃん。一人?」
俺の問いかけに、美咲ちゃんは首を傾けながら頷いた。
「パパとごーくん(五反田さん)はお仕事。ママはお買い物。」
「ちょっと、お話したいんだけど良いかな。」
美咲ちゃんは小さく頷いた。

 「愛香の事だけど、最近、何かあったの?」
俺の質問に、美咲ちゃんは辛そうに俯いた。嫌な予感がした。重そうに美咲ちゃんは、その小さな口を開いた。
「愛香ちゃん、クラスの人たちからいじめられてる。ノート破られたり、上履き隠されたり、"テレビなんか出て生意気なんだよ"とか、"テレビの収録があるからって学校休んでんじゃねえよ"とか言われて、すっごく傷ついてる。それから・・・。」
美咲ちゃんは涙を流し始めた。それは、幼馴染の親友が傷つきいじめられているのを目の当たりにしているからであろう。美咲ちゃんは続けた。
「それから、"お前にはパパやママがいないんだろ"って・・・。最近、学校で愛香ちゃん笑ってない。」
そう言うと、美咲ちゃんは感極まってしまった。
「もう、いいよ。」

―最近、学校で愛香ちゃん笑ってない―
今日は、史上最悪のホリデイだ。


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