20 シンコペーション

 漸く泣き止んだ美咲ちゃんは、こんな質問をした。
「最近、ごーくん元気してる?」
それは、美咲ちゃんが両親以上に信頼を置いている五反田さんのことだった。同じ会社ではあるけれど職場が違うので分からない。と、言う旨を呟くと
「最近、ごーくんもすごく落ち込んでる。」
美咲ちゃんは続ける。
「ごーくん、また目が悪くなったんだって。お医者さん行ったら"すとれすせいのしりょくていかしょう"って言われて運転士さんにもなれなかったの。結婚するって話もなくなっちゃって・・・」
美咲ちゃんは、その小さな背中で愛香と五反田さん2人分の心配を背負っていた。美咲ちゃん。あんた、偉いよ。
「いろいろ聞かせてくれて有難う。」
そんな美咲ちゃんに、俺は申し訳が立たない気持ちになり部屋をいそいそと出て行った。
 俺は、ゆっくりと鮫洲さんの部屋へ向かった。まなみちゃんに預けた愛香は如何しているだろうか。俺は、鮫洲さんの部屋のドアをノックした。すると、すぐに
「はーい。」
という優しそうな声が聞こえた。まなみちゃんだった。まなみちゃんは俺の顔を見ると
「愛香ちゃんでしょ。来た時は今にも泣きそうだったけど、今は元気に遊んでるよ。ほら。」
まなみちゃんは、そう言い終ると俺を中に入れた。
「まなみちゃーん。次、まなみちゃんの番だよ。」
トランプを何枚か持った愛香は、俺に気づく様子も無く遊んでいる。確かに帰ってきた時よりは元気になった気がする。
「あっ、雄大くん来たよ!」
同じくトランプを少しばかり持った鮫洲さんの次女、えみりちゃんがこう言うと愛香は漸く気づいたのか、トランプをふっ飛ばして俺に飛びついてきた。
「何してるの?」
「ババ抜き!」
愛香はそういうと、俺を少女3人の輪の中へと入れた。まなみちゃんは一番年上からか落ち着いていて知的なイメージで、ポニーテールを揺らしながら2人とトランプ遊びに熱中していた。えみりちゃんは姉とは対照的に元気で活発な印象があり、肩まで下げた茶色がかった髪が爽やかだった。そんな3人の輪の中はどうも入りづらく、俺は「みんなの分のジュースを買ってくる」と言い残し部屋を後にした。
「雄大くんって、かっこいいよね。」
「あー。お姉ちゃん雄大くんのこと好きなんだー!」
「えっ、バカッ、ちがっ」
「あはは。赤くなったー!」
「もう、トランプの続きやるよ!」

 ポケットの中に手を入れた。
「800円」
100円玉が8枚、俺の手のひらにのっていた。近くのコンビニまでジュースとおやつを買いに行こうと、俺はフラフラと歩き始めた。
 たまに聞こえてくる京急の警笛。潮風に混じる海のにおい。傾きかけた夕日の赤。今日は何処か寂しげな北品川だった。

 「有難うございました。」
無機質なコンビに店員の声を背に、俺はコンビニを後にした。ゆっくり歩き出そうとした瞬間、何処かで見たような奴がこちらへやってきた。
「戸部!」
「? 猿橋?」
そいつは、大学の時に同期だった猿橋だった。
「よぉ。久しぶりだな。元気してっか?」
「・・・。別に。」
昔からこういうタイプの人間は苦手だった。特に俺と同年代の同姓となると、俺の大嫌いなものの一つに入る。
「お前、今何やってんだよ。」
「コンビニで買い物。」
「馬鹿。仕事だよ仕事。」
「・・・。京急。」
俺の言葉で、猿橋は仰天した。
「京急!?京急ってあの赤い京浜急行電鉄のことか?」
俺は頷く。すると猿橋は、とんでもない事を口にした。
「京急って事は、"みゆちゃん"と同じじゃねぇか。」
みゆちゃん!?
「おい、"みゆちゃん"って、まさか・・・。」
「ああ、上田だよ。大学の時に振られた凄く可愛い娘。」
間違いない。実結だ。
「もしかして、上田実結っていうのか?」
猿橋は頷いた。
「実結、俺と同じ職場だぞ。新町乗務区。」
「じょーむく?って、えっ!運転士やってるのか実結ちゃんは!?」
「・・・。今月車掌になったばかりだ。」
「へぇー。実結ちゃんが京急の車掌さんに。ほぉー。大学の時は"幼稚園の先生になる"って張り切っていたけどなぁ。向こうは短大だったけど。子供のことが本当に大好きで、面倒見も良くて、俺なんかの相談にも乗ってくれたりさ、本当に優しいぜあの娘は。」
さらに猿橋は続ける。
「何で京急に入ったか知らないけど、今でも本当に子供のことが好きなんじゃないかな。」
俺は軽く相槌を打つと、猿橋は思い出したようにこういった。
「そういえば昔、中3の時に大人になったら結婚するって言う約束を未だに信じてる。って言ってたぜ。"あの日の約束"なんだってさ。子供好きも良いけど、自分もまだまだ子供だよな。」
この言葉を聴き終わるまでには、俺はその場を立ち去っていた。愛香のいじめの事、実結に相談しよう。実結ならきっと何か言ってくれるはず・・・。

 「愛香。今度、上田さんっていうお兄ちゃんのお友達のお姉さんと一緒にお話してくれないか?」
日も沈みきった頃、鮫洲さんの家から帰った俺たちは家でこんな会話をしていた。
「お話?うん。いいよ。」
愛香は不思議そうに頷いて見せた。
―今でも本当に子供のことが好きなんじゃないかな―
その言葉を信じて。相談しよう。俺のこと、愛香のこと―


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