24 Cappuccino

 愛香はあれ以来、ずっと心を閉ざしたままだった。俺が何を言っても返答は無かった。友達とも遊ばなくなった。話もしなくなった。笑わなくなった―

   6月1日

 俺は、今日も何の面白味も無い仕事をしていた。そして、そんな仕事を終え乗務区に戻ると鮫洲さんにこんな物を渡された。可愛らしいメモ用紙だった。
「雄大くんへ  雄大くんと沢山お話したいです。ご都合が宜しければ家まで来てください。   上田 実結 」
「何ですか、これ?」
俺は鮫洲さんに尋ねる。
「さあ。今日あたり新町のマドンナから告白されるんじゃないの?」
「・・・。」
呆れる俺を見て、鮫洲さんは慌ててそれを説明した。
「つまり、今日上田さんの家に来てくれって事だろ。」
俺は眉間に皴を寄せた。実結、どうしたんだろう。急に「お話したいです」なんて。よほどの事情でもあったのだろうか。それとも、本当に鮫洲さんの冷やかす通りなのか・・・いや、そんな訳無いか。あくまで実結は友達なのだから・・・。
 実結の家は、何度か行った事がある。新馬場の駅からすぐの、神社の近くのアパートだ。実結は中学生の時まで東京に居たらしいが高校に進学すると同時に親の仕事の都合で北海道に引越し、東京の短大へ入る際に再上京したそうだ。アパートは「追浜壮」より少しばかり広く、古くて傾いているそれとは反対に割と新しかった。

 「新馬場です。ご乗車有難う御座いました。」
北品川よりいくらか長い新馬場のホームに車掌のアナウンスが木霊した。終電も近い新馬場に、俺は降立った。そして、実結の住むアパートへと足を運んだ。

 インターホンのボタンを押した。予想よりも柔らかい質感と共にゆっくりと歩く音が内側から聞こえる、かと思うとすぐに実結はドアを開けた。
「んー。ゆーだいくん?」
ついさっきまで寝ていたのか寝惚けた様子の実結はパジャマのまま俺を出迎えた。
「悪い。こんな遅くに。」
「ううん。突然呼び出してごめんね。」
実結はそう言うと、俺を部屋の中へ手招きした。

「・・・話って、何?」
訳の分からない泡だった珈琲とクッキーを出してくれた実結に、俺は質問をした。
「実は、最近、何時も誰かにつけられているような気がするの・・・。」
実結は俯き加減に小さく言った。その黒髪がゆっくりと揺れた。
「・・・ストーカーか?」
俺の言葉に、実結はコクリと頷いた。実結位の可愛い女の子ならばストーカーに付狙われるのも可笑しくは無い。暫くすると、実結は再び口を開いた。
「無言電話とかポストに白紙が入れられたり、部屋を覗かれたりされる・・・。」
実結を狙うストーカーは随分悪質なものだった。
「何か盗まれた?」
俺は尋ねる。
「盗まれたりとかは・・・無い。」
金銭目当てでも変態や愉快犯でもなさそうだった。
「警察には?」
すると、実結の口からとんでもない言葉が返ってきた。
「警察には、言いたくない。警察に言ってストーカーしてる人が捕まっちゃったら、その人は私のために何年も刑務所で働かなきゃいけないんでしょ?そんなの、可哀想だもん・・・。」
実結、優しすぎるんだ。甘すぎるんだ。一口珈琲を飲むと、実結は続けた。
「でも、ストーカーは嫌だ。」
少し我侭な事だったが、不思議と実結を責める気は無かった。俺はクッキーに手を伸ばすと黙って考え込んだ。実結のソワソワした状況からもストーカーの被害はかなり切羽詰ったものだと実感できる。俺は、ふと思い立った。
「・・・俺の家に、来るか?」
良く考えると、其れは本当に突拍子も無い事だった。ただ、俺が思いつく最善の処置はこれぐらいしか思いつかなかった。
 しかし、実結はゆっくりと頷いて見せた。
「・・・ありがとう。」
実結は一言呟くと、ふっと肩の力を抜いた。
「俺の住んでいる「追浜壮」の204号室、確か空き部屋なんだ。もし同じ部屋に居るのが阻まれるようだったら其処に居ると良い。試しに1週間ぐらい、其処に居たら如何だろう。」
実結は、俺の言葉を聞くと目に沢山の雫を浮かべていた。
「雄大くん、優しくなったね。」
優しい?俺が?やめてくれ。そういうことを言われると身動きが取れなくなる。
 実結は、目線を下に逸らすとゆっくりと言った。
「ごめんね。何か、心配掛けちゃって。雄大くんだって自分の事とか愛香ちゃんのこととか色々大変なのに・・・。本当にごめんなさい。」
俺は、その言葉を打ち消した。
「・・・心配するな。今はストーカーから身を守ることだけを考えろ。」
そう言うと、実結はコクリと頷いた。

 暫く、何の取り留めも無い無駄話をしていると、実結は思い出したように言った。
「そう言えば、愛香ちゃん大丈夫なの?もう夜の1時だよ?」
俺はハッとした。本当は3時間も長居する心算は無かった。急いで鞄を背負うと実結の家を駆け出していった。
「雄大くん、ありがとう。」
そんな実結の囁きだけが、俺の頭を巡っていた。

 「御守り、何処行っちゃったんだろう。誰かに盗られたのかな。絶対大切にするって実結ちゃんと約束したのに・・・怒られちゃうかな。実結ちゃん、がっかりするだろうな。折角ビーズで赤い電車の御守り作ってもらったのに・・・。」
「ただいま。愛香、遅くなってごめん。」
俺は息を切らして家に帰った。
「・・・まだ起きていたのか?」
「うん・・・。」
「もう夜の1時だ。早く寝ないと明日起きられないぞ。」
「・・・うん。」
愛香はゆっくりと布団に入った。小さな後姿が、やけに悲しかった。

 実結のストーカー、愛香のいじめ、結局俺は何もしてやれないのか。泡だった悔しさが黒い水面に浮かんでいた―
―雄大、弱くなったな―

25話 Sunrise へ

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