30 朝の静けさ

 「実結、如何して俺の部屋にいるんだ?」
唯でさえ狭い俺の部屋に何時の間にか持ち込まれた実結の家財道具と、愛香と話していた当人を見て尋ねる。すると、実結は呆れた様にこう言った。
「たった8歳の女の子が、1週間も1人で生活できる訳無いでしょ。ストーカーが来るからって雄大くんの言う通り「追浜壮」に来たら、愛香ちゃん初日から寂しいって泣いてたよ。」
実結は早口に言った。
「…そうか。悪かったな。」
俺たちがそういう遣り取りをしていると、愛香が俺の許に駆け寄ってきた。
「本当はね、実結ちゃん雄大くんと一緒になりたかったから家に来たんだよ!」
「あ、愛香ちゃん!だめ、ちがっ、その…え、…あ…。」
愛香が珍しく冷やかすように言ったのを実結は慌てて引き止めた。そして、其の場を纏めるように無理矢理言った。
「だから、今日からよろしくね。」
そう言うと、俺に微笑して見せた。
「…ストーカーが居なくなるまでか?」
「もっと…居たい。だめ?」
「別に、良いけど。…落ち着いたら帰るんだぞ。」
俺はそう言うと、何も言わず部屋の中に入った。実結を其の場で返すのは余りにも可哀想だし、"「追浜壮」避難案"を提案した俺としての責任も有る。
 実結に一番近づいた瞬間、実結が呟いたように聞こえた。
―何で気付いてくれないの…バカ。―

 時計の針が12時を指した。腕時計に目をやった俺はあることに気付く。
「愛香、そろそろ行かなきゃ。」
何時もなら毎週この時間に愛香が現在、唯一出演しているテレビ番組の撮影が有るはずだ。すると、愛香は落込んだ顔でこう言った。
「もう、行かなくて良いんだって…。」
その言葉は、愛香へのオファーが事実上0になったことを示す言葉だった。デビュー当初、天才子役とまで謳われた愛香がたった2年でブラウン管から姿を消した。本人は、俺に言うと同時に溜めていた涙を溢れ流し、嗚咽の声を上げ始めた。
「大丈夫。ほら、泣かないで。」
優しく愛香を抱きとめる実結。俺は何も出来ず其の場に立ち尽くしてしまった。
 愛香が何故引きこもるようになり話さなくなったのか。それは、子供にしてテレビに出られるという特権を得たことと、両親が失踪し得体の知れない20代の独身鉄道員に養われているというところから来る学校でのいじめの影響もあった。だが、俺は忘れていた。愛香がその流れの激しいブラウン管の世界へと足を踏み入れたことを。確かに、最初は天才等と持て囃されていた愛香も、2年もたつと世間から"過去の人"扱いされてやがては過去形に好き勝手語られる。そんな厳しい世界を小学二年生が耐えて生延びれる筈は無い。当然と言えば当然なのだ。そして今日、愛香は自分の夢に自分の夢を絶たれた。

 六畳一間の俺の部屋に、独身男と同い年の女性、そして彼女にそっくりの8歳児が一塊になって寝るという、どこか違和感を覚える構成で就寝した。
「お兄ちゃん。」
と、まだ寝付けない愛香が俺に言う。
「何?」
「…何で、いつも辛い思いしなきゃいけないの?私、誰かに悪い事した?」
消灯してよく見えなかったにもかかわらず、悲しみにくれる幼い姿ははっきりと分かった。
「…私、何も悪い事してないよ?」
愛香は小さく言った。
「愛香は悪くないさ。しょうがないだろ。我慢するしかない。」
愛香は、最後にこう言った。
「…もう、誰も信じられない。」

 3人で食べる朝食も、重苦しい雰囲気だった。食欲も無く上の空の愛香と、この場を何とか明るくしようと無駄な奮闘をする実結。
「カップ麺にほうれん草入れてみたの。どう?食べてみて。」
「…。」
「愛香ちゃん、どう?」
「…。」
「…あれ、もしかして、不味かった?」
愛香は首を横に振ると、ランドセルを背負い足早に家を出た。
 その様子を見た実結は、
「あはは…。愛香ちゃん、シラけちゃった、かな…。実結のバカ。」
そう言うと、軽く自分の頭を叩いた。

 「じゃ、行ってくるからね。」
「うん、今日も1日0災(※1)でいこう!」
例え愛香が計り知れないストレスを抱えていようとも、俺の仕事は確実に訪れる。休暇で専業主婦気分の実結と、今日も仕事がある俺は、そんな挨拶を交わすと出て行った。背中に残るのは愛香の事ばかり。今日も見た、悲しみに包まれた小さな背中。

 乗務区に入るなり目に留まったのは、掲示板の明朝体白黒印刷の2枚の張り紙だった。1枚目、鮫洲さんが輸送指令に異動を命じられていた。そしてもう一つ。
「8月23日、御召列車(※2)運転」
何とも頓珍漢な話だった。庶民的なイメージの強い一民鉄が御召列車。横須賀方面なら当然の如くJRが受持つ筈だ。その日に浦賀で行われる何とか海洋サミットとかいうイベントの要人専用列車らしい。運行担当には勿論、勝島さんの文字が見えた。
「おう、久しぶり!」
当人がいつもの威勢の良い声を掛けた。
「これ、マジですか?」
「ったりめぇよ。こんな所に嘘書いてどうする。」
ふと、足元を見た。この前、交通事故で痛めた足を不安になり言う。
「でも、まだ余り動かない方が…。」
「べらんめぇ、このぐれぇ大丈夫だってんだ。」
「あまり御無理なさらない方が良いですよ。」
「あんがとよ。」
最後に勝島さんはそう言うと、新人の俺に添乗するためいつものように点呼を受けた。ここまでは、日常と何一つ変わらない光景だった。相武に行って変わった俺は、大きな声を出して喚呼する。
「第一出発、進行!普通!ATSよし!」

 まだ、これから何が起こるか知る予知も無かった。過ぎ行く風景も何もかも、いつもと変わらなかった。

   ※1 0災(ぜろさい) 鉄道現場などで、事故・災害0を目指す標語
   ※2 御召列車(おめしれっしゃ) 天皇陛下等の要人専用に運行される臨時列車。現在ではJRグループの専売特許のような状態。

31話 Cielo Estrellado へ

鉄道長編小説「赤い電車に乗って」TOPへ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送