32 高原

 日も傾きかけた頃、恐る恐る乗務区の扉を開いた。突如鳴り響く拍手。訳が分からず俺はそのまま其の場に硬直する。
「…?俺は…懲戒解雇、された筈…。」
そう。自分任せの大暴走で。はっとして立てかけてある出勤表を見る。俺の名前は…ある。ふと、誰かが後から声を掛ける。
「今日の君の事故。人間としては最高だが、乗務員としては最低だ。」
小柄な"カリスマ区長"は冷たく言い放つと、肩に手を添えて優しく言った。
「本当は許されてはいけないけど…今日の事は仕方ないさ。いくら乗務員言えども人間なんだから。君の無線の遣り取り、カッコ良かったよ。3日分休暇を与えるから、ゆっくり休んで気を取り直して働きなさい。」
先程の指令を駆使した遣り取りが京急線全線から聴けた事を知らされると、俺は思わず赤面した。館山さんは最後に忠告した。
「だが、今日みたいなことは二度とするな。二回目はないぞ。本来ならば解雇されている筈だからな。」
結局、処分は2ヶ月間の減給だった。乗務区の人々は俺の暴走を責めるどころか、むしろ心を動かされたと笑顔だった。
 愛香が助かったのも、俺が軽い処分で済まされたのも、全ては奇跡だったのかも知れない。でも、そんな奇跡が本当に嬉しかった。

 夜、館山区長の計らいで早めに退区させてもらった。家に戻ると、すっかりいつもの顔色を取り戻した愛香がいた。
「お兄ちゃん!」
愛香は何時もに増して勢い良く駆け寄ると、細く小さい腕で力いっぱい俺を抱きしめた。
「お兄ちゃんだよね?本物の、お兄ちゃんだよね!?」
改めて俺の存在を確認すると、さらにきつく抱きしめた。
「愛香…。」
「怖かったの。本当に怖かった。突然あたりが真っ暗になって、もう死んじゃうかと思った。」
震える細い腕に、雫がポツリと落ちた。
「真っ暗になって、あ、死ぬんだって分かった時、お兄ちゃんに一番会いたかった。お兄ちゃん、助けてって心の中で叫んだら、お兄ちゃんの声が聞こえた。」
愛香は言うと、改めて俺を確認した。
「本当に、お兄ちゃんだよね?」
頷くと、愛香は安堵の涙を流した。

 「病院出たら、まなみちゃんとえみりちゃんとか、美咲ちゃんとか、学校の先生とか、友達も皆来てくれて、皆、本当は意地悪な人じゃない。何時からか誰のことも信じれなかったけど、本当は皆優しいんだね…。」
愛香は生まれて初めて生死を彷徨った経験と、支えてくれた人々について説明してくれた。中には、自分が倒れてしまったばかりに俺がとんでもない失態を犯し、ダイヤを乱したり減給処分を受けたりしたのは全部自分の所為だ。と、愛香は言っていたが、そんな事は無いと俺は思う。
「電車止めてまで助けに来てくれたお兄ちゃん。すぐに駆けつけて来てくれた実結ちゃん。学校の皆…私、独りぼっちじゃないんだね。」
愛香が微笑んだ。愛香の笑顔。久しぶりに見た本当の笑顔。はじめて赤い電車を見た、あの日のように。

 そう、独りぼっちじゃないんだ。例え全てが拒まれても、必ず誰かが傍に居る。愛香の言葉は、愛香自身と俺自身に響き渡っていた。
―私、独りぼっちじゃないんだね―


 「鮫洲さん、今日の事…。」
今日の暴走の発端となったとして俺と同処分を科せられた異動初日の鮫洲さんに、車掌仲間だった実結は尋ねた。
「何でクビにならなかったって事かい?」
「いえ、そうじゃなくて…雄大くんのことなんですけど。」
両人の一番の理解者である鮫洲さんに実結が尋ねるのも、当然といえば当然なのかも知れない。
「雄大くん。自分が処分される覚悟で駆けつけたんですよね?」
「多分ね。俺も本当は仕事が終わってから伝えようと思ったんだけど、そうすると俺も戸部くんも一生後悔するんだろうなと思ってな。」
鮫洲さんの言葉を聞くと、実結は言った。
「雄大くん、気付いて無かったかも知れないけど、病院駆けつけた時、必死になってた。雄大くんは"ダイヤ乱してまで馬鹿な事をした"って言ってるけど、やっぱり中学校の頃と変わらなくて…優しくて…。雄大くんの事、大好き…。」
「でも、雄大くんはきっと気付いてないですよね?」
不安そうに実結は尋ねる。すると、鮫洲さんは物難しそうに唸ると、実夕を見据えてこう言った。
「…じゃあさ、その気持ち、雄大くんに伝えてみたらどうだい?」
実結は、小さく頷いた。

 「雄大くん、カッコよかったね!」
本日の劇的なヒューマンドラマを学校から駆けつけたえみりちゃんと美咲ちゃんは、いつもの東八ッ山公園で遊びながらそんな事を言っていた。
「うん。私もあんな風に助けられて助けられてみたいな。」
美咲ちゃんの言葉に、えみりちゃんはふと気付く。
「えっ。もしかして美咲ちゃんも雄大くんの事好きなの?」
尋ねるえみりちゃんに、美咲ちゃんは頬を赤らめながらも頷く。
「お姉ちゃんも美咲ちゃんも…皆雄大くんのこと狙ってるんだ…。」
「えっ?何か言った?」
「ううん。何でも無い!」
口ではそう言うものの、えみりちゃんは無意識に危機感を感じていた。
 「えみりちゃん!美咲ちゃーん!」
其処へ、愛香は俺を連れて二人の元へと駆けて行った。すっかり前の様に遊んでいる姿を見て、俺は思った。

 ―やっと、昔の愛香に戻れたんだな―
愛香には支えてくれる皆がいるから。呼べば応えてくれる友達がいるから。もう、独りぼっちじゃないから―

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