33 twilight

   6月20日

「おハロー。」
俺を起こすものが、目覚まし時計のアラームではなく実結の優しい声になったのに、未だ慣れなかった。
「今日、二人とも同じ時間だね。」
単なる偶然か、出退区時間が俺と実結は重なっていた。
「乗務区まで、一緒に行こうね。」
そう言い残すと、実結は朝食の用意をし始めた。

 愛香を送り出してから新町の駅まで電車に乗る。つい最近3扉改造を受けたばかりの2000形4連。少し込み合った車内で実結は言った。
「今日さ、仕事終わったら、ちょっと寄り道しない?」
「何処へ?」
「憶えてる?駅前の喫茶店。久しぶりに、2人きりでお話したいなぁ…なんて。」
俄か恥ずかしそうに実結は言うと、
「良いかな?」
と俺に尋ねる。
「…べつに。」
何となく、何かありそうな気もした。その反面、実結と2人きりで話せると思うとほんの少し嬉しかった。

 暫くすると、手持無沙汰になったのか実結は掴んでいた吊革をグルグルと回し始めた。また、平和島で後続の急行待ち合わせの時、
「あ、3500形!」
と、余り京急には入線しない様な珍しい車輌を見て目をキラキラさせているのは、何故か愛香そっくりなのだ。年齢に似つかない幼い仕草と容貌には、無邪気な少女の様にさえ感じられる。そんな純真な所に、俺は何となく惹かれているのかも知れない。 …?惹かれている?俺が?……最近、どうかしてるな。大学生の頃はそんな気持ち感じた事すら無いのに…何なんだ?……考えたくも無い。パスだ。

 「じゃあ、仕事終わったら改札の前で待ってて。」
電車から降りると、実結はそう言って足早に乗務区へと駆けて行った。この前の愛香が倒れた日ほどではないが、何かありそうな気がする。まさか、また俺に何かが起るんじゃないだろうな。

   ―

 「よし、今出て行ったぞ。」
乗務に出た雄大を見て、鮫洲さんは言った。すると、実結は緊張した声で言った。
「場所は北品川の駅前の喫茶店「ヤシオ」です。」
隣に居た館山さんも言う。
「そうか。ついに打ち明けるのか。戸部くんに。」
それを聞いた実結は、コクリと頷く。
「どんな言葉が良いと思いますか?」
実結の質問に、"カリスマ区長"と元先輩車掌は唸った。
「"君の事、勝手に好きになってもいい?"とかは?」
「臭いなぁ、その台詞。ここは単刀直入に隙ってそのまま言っちゃった方が良いんじゃないの?」
と、勝手な議論を始める。ふと、鮫洲さんは
「雄大くんはその"あの日の約束"を憶えていないんでしょ?」
と確認する。寂しそうに頷く実結に言葉をかける。
「でもさ、こんなに可愛いんだから、絶対に雄大くんも少しは惹かれてるんじゃないかな。例の同居の件もあるんだし、今がチャンスだよ。」
続けて館山さんが
「応援してるからね。頑張って雄大くんにドンと告白しちゃいないさい!」
それを聞いた実結は、
「ありがとうございます!」
と深々と頭を下げていった。プライベートな相談を快く引き受け、親身になって考えてくれた2人の先輩の優しさに感激し、実結は熱いものを感じていた。そんな時に鮫洲さんは
「でも、"新町のマドンナ"を雄大くんに渡すのは勿体無いなぁ…。」
と冗談を言う。館山さんはそれに乗じて実結に
「勝手に好きになっても良いですか?」
と、からかう。
「もう、いいです!」
さっきまでの感動は何処へ言ったか、"新町のマドンナ"は呆れ半分嬉しさ半分で会議室を駆け出した。

   ―

 「よ、待った?」
仕事を終え、言われたとおり新町の改札で待っていると、5分も経たないうちに実結は来た。一緒に乗り込んだ帰りの電車、実結の横顔から、何故か緊張が伺える。
「…がんばれ、実結。」
ふと、実結の口から緊張のせいか震えた小さな囁きが聞こえたような気がする。
「…如何した?」
「…ううん。何でも無い。」
ふと、実結は提案する。
「あのさ、…手、繋いでも…良いかな?」
手?
「ああ。」
頷くと、温かい実結の手が俺の冷たい手を握った。その手は、汗に濡れていた。
「実結、大丈夫?」
「うん…何でも無いの。」
北品川に着くまで、俺たちは何も話さなかった。話せなかった。700形のモータの音だけが、2人の耳に響いていた。

 「ここ、久しぶりだね。」
今朝約束した通り、北品川の駅前にある喫茶店「ヤシオ」に寄り道する。ドアを開けると、あの日と同じくカランコロンと気持ちの良い音が響き、あの"PASSENGER"が今日も流れていた。
 あの日座った席、一番隅の席に座りあの日と同じように珈琲を頼む。
 暫く、珈琲の香と"PASSENGER"のオルゴールだけが其の空気に流れていた。会話の無い2人。ふと、実結は口を開いた。
「…雄…大くん。」
実結は重い口を開いた。
「"あの日の約束"……忘れちゃったよね?」
「…ああ。」
「そうだよね…。あんな約束、憶えてる訳無いもんね。」
「でも…」
実結は言った。

   ―雄大くんの事、好きです。大好きです。―

34話 風と共に へ

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