38 木々の目覚め

 俺が独立乗務(※1)となってからもう7ヶ月位が経つだろうか。勝島さんと乗務するのはかなり久しぶりの事となる。明後日から始まる御召の研修を楽しみに思いながらも、何時もの走り慣れた京浜の街並みを過ぎて行く。

 電車は京成の3400形。足回りは京成の旧AE形車輌の物を流用している為、減速時の回生失効(※2)が早く、低速域のブレーキングにコツのいる車輌だった。空港線系統の急行 成田行き。俺の駆る電車は平和島に停車した。
 京急では駅で長時間停車する場合は運行を担当している職員もホームに立ち、御客様の御案内にあたる。勿論この列車も例外ではなく、俺は電車を降りた。
 ふと、乗務員室すぐ後方の扉から乗車した乗客から、こんな会話が聞こえた。
「谷上ゆりあって、知ってる?」
「あの"PASSENGER"歌った娘?」
「7年位前に行方不明だって噂があったけど…。」
片方のOL風な女性が言うと、もう一方の女性は重く、その口を開いた。
「確か…自殺したんでしょ?京急線に飛び込んで…。」

――!

 ゆりあは死んでいたのか…?

 俺の脳に衝撃が走った。…ショックだ。そんな俺を無情にも囃し立てるかのように発車合図のブザーが鳴る。無機質に点灯する出発信号機の緑色が、これほどにまで冷たく感じる事は今までにあっただろうか。
 運転台に着きマスコンハンドルを引くと、平成製の運転台に似合わない種車のモータ音が、只管車内に木霊していた。

 谷上ゆりあ…俺の記憶を無くす前の数少ないキーワード。"PASSENGER"という名の曲、京急線での飛び込み自殺…「追浜壮」自室の押入れから見つかった謎のオルゴール、時々見る奇怪な"夢"の登場人物…それはまるで失われた過去のよう…過去?
 「過去の事が夢に出て来るというのはよくある事だけどネ。」
ふと、車掌時代に御世話になった富浦久里浜乗務区区長の言葉を思い出す。聞いた話によれば、勝島さんも富浦さんの弟子だったらしい。
 立会川、青物横丁と順調に停車。俺の脳裏とは正反対に、列車は何の迷いも無いかの様に成田へ向けて快走する。

 ずっと気になっていたあのオルゴールの「...上ゆ.........」の文字。あれは"谷上ゆりあ"なのか?
 また新たに疑問点が浮かび上がる。…待てよ、谷上ゆりあって自分で曲をリリースする位のアイドルなんだろ?何故そんな彼女と俺に接点があるんだ?俺…の過去…?
 結局、一番の疑問は其処に辿り着く。実結に聞いた話では、中学3年生、つまり15歳まで実結は俺とずっと一緒に遊び合った中だが、そんな奴は俺の身の回りには居なかったらしい。そして、俺の意識が戻った18歳、大学1年生…既に谷上ゆりあという人物との接触は無かった。
「高校…生?」
新馬場のホームにさしかかる手前、俺はそっと呟く。その空白の3年間、俺には何があったんだ?

 「1081K列車、異常有りません!」
「異常なし、了解しました!」
泉岳寺に電車は到着。東京都交通局の運転士と交代の手続きをする。見送る3400形のテールライト。2本の赤い光は、喪失した俺の過去と酷似して見えた。

   5月11日

 結局、ゆりあの事に関しては何の解決の糸口も掴めないまま、俺は金沢文庫乗務区の一室に居た。長机が身を寄せ合う様にして並べてある上には、泉岳寺―三崎口間の配線図。赤鉛筆でなぞってあるルートは、来る7月23日に運転される御召列車の経路だ。
「それでは、これより平成13年7月23日御召列車運行会議を始めます。」
恐らく内勤の方であろうか。スーツ姿の男性がハキハキとした声でそう宣言する。視線を図に戻すと、赤で記されたルートを指しながら説明し始めた。と、俺の耳元からある声が聞こえる。
「お前ぇもメモしときな。」
「えっ?あ、はい。」
言ったのは、今回の御召列車の運行業務に就く勝島さんだった。今回俺がする添乗、マラソンの大会の補欠の様なもので、さして其処まで真剣の取組まなくても良い。筈だった。ちらり目をやった勝島さんのノートには、説明されている事柄意外にも、自身が何十年も走ってきたその経験と勘を元に、線路状態や注意事項が事細かに記入されていた。
 そうこうしている間にも、説明はどんどん進行する。
「使用車輌は600形の608編成、途中停車駅は有りませんが神奈川新町、金沢文庫、京急久里浜、YRP野比、京急長沢、三浦海岸で運転停車です。」
社員の言葉に、俺はある事を思い出す。…608…あの1185Hの時と同じだな…。あれ以来、同編成に乗務しても特に違和感は感じられなかった。が、今回の様な特別な場合は如何だろうか。自分が運転する訳ではないのだが、その事が妙に心残りだった。今回の運行はトンネルの向こう、成田空港から京成、東京都と地下線にも乗り入れるので、京急のフラッグシップトレインである2100形は乗り入れられない。そこで、エアポート快特にも充当される600形に出番が回ってくるのは当然と言えば当然なのかもしれない。

 会議の帰り際、取り留めも無く勝島さんと立ち話をしていた。
「3400って、ブレーキ滑りません?」
と、今日の運転の感想等を垂れていると、ふと、今日の出来事を思い出す。
「ところで、"谷上 ゆりあ"って人、御存知ですか?…なんでも、京急線に飛び込んだとか…。」
すると、勝島さんは突然その動きを止め、黙り込んだ。
「…勝島さん?」
俺が不安になり声を掛けると、返って来たのは思わぬ返事だった。
「…そうか。気付いちまったか…。」
「えっ!?」

 ―ゆりあを轢いたのは、俺だよ―




   ※1)独立乗務 新人の乗務員が指導役の乗務員から離れ、一人で乗務する形態。
   ※2)回生失効 電力回生ブレーキのブレーキ力が切れてしまう事。低速域では電力回生ブレーキが効かない車輌が多く、停車直前は空気ブレーキ等の摩擦ブレーキに頼る事が多い。

39話 四季 へ

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