39 四季

 「谷上ゆりあを轢いたのは、俺だよ。」
その言葉は、俺を驚愕させた。勝島さんは目線を足元にやったまま、小さく口を開いた。
「隠してた心算は無かったけど…こいつぁ紛れもねぇ本当の事だ。」
勝島さんは続けた。
「あれは忘れもしねぇ、8月の雨の日だった。」

 未だ快特が120km/hも出さなかった頃だぜ。深夜の上り特急。俺は新町から乗務したんだ。でも、ハンドルを握った瞬間、何か嫌な予感がしたんだ。丁度、お前があの時の羽田や愛香ちゃんが倒れた時と同じ様にな。もし、あの時俺が運転を止めていたら、もしかしたら彼女は生きていたのかもしれねぇ。俺は、その日も何時も通り走らせたんだ。子安、新子安、生麦、花月…鶴見で先行の普通車を追い抜いて市場だ。其処までは順調だった。
 そいで次の駅は八丁畷。お前、八丁畷の駅の川崎側にある踏切分かるか?あそこ、何度かトリコ(※1)や人身事故も起きてるんだ。何つっても直前までホームが有りやがる見通しの効かねぇ所を、フルスピードで突っ込んで行くからな。あん時は最高速度が105km/hだったけど、そいでもあそこで何か有ったんなら、きっと 停まりきれねぇ。
 あの日は雨で視界も頗る悪かった。夜の闇に薄らと見える踏切動作反応灯(※2)も点灯していたし、特殊発光信号機(※3)も消えていた。だから、気付かなかったんだろうな。俺はスピードを緩めずにホームに進入した。その途端だった。俺はその時やっと、彼女の存在に気が付いたんだ。踏切で、線路の真ん中にこっちを見ながら立っていたぜ。まるで、てめえの死を望んでいるかの様に。でも、俺になす術は無かった。勿論、非常ブレーキも掛けたし、防護無線も発報したよ。それでも105km/h出している電車が直ぐ停まれる訳はねぇ。でけぇ音立てて電車は踏切を通り過ぎて行ったんだ。
 電車が停まったのは踏切の先の上り坂の真ん中辺りだった。電車が停まると直ぐに、俺は踏み切りへ駆け下りて言ったんだ。相当のスピードだったから、彼女も其れなりの状態になっていると思った。んでもよ、彼女は踏切の脇に跳ね飛ばされているだけで、傷一つ無かったんだ。もちろん、息も無かったけどな。彼女の右手に目をやると、何かをきつく握りしめてやがったんだ。そいつぁ、戸部雄大って奴に宛てられた最後の…手紙だったんだ。

 「そして……これがその手紙だ。」
 勝島さんはそう言うと、徐に鞄から白い封筒を取り出した。その中には、こう記してあった。


   戸部 雄大くんへ

 これが、最後の御手紙です。先立つ不幸を御許し下さい。今年の6月、生まれた時から持っていた病気の所為で、医師から余命6ヶ月の宣告を受けました。…本当にショックで、何度も何度も泣き叫んだ。弱い私が、此の世で一番恨めしくなった…。でも、この悲しみを貴方に味わわせたくなくて…今まで秘密にしてて、本当にごめんなさい。
 御仕事や勉強に追われる日々…幸せって、なんですか?毎日、ろくに休む時間も採れずに、同じ事を繰返すだけ。テレビカメラの前で笑って、積まれる宿題を黙々と解いて…生甲斐って、なんですか?…そう考えたら、真っ先に貴方の顔が浮びました。このまま天国へ旅立つまで6ヶ月も、死ぬと分かっていながら貴方を見るのが辛くて…。夢も希望も無い辛いだけの人生だったら、無い方が良い。夜空のお星様になって、ずっと貴方の側に居たい…そう思ったら、私は既にこの手紙を書いていました。
 最後に、貴方の誕生日に贈った"PASSENGER"のオルゴール、私からの最後のプレゼントです。あなたに宛てて書いた歌、辛い時や悲しい時、其れを聞いて、少しでも元気出してくれれば嬉しいです。私は死んでも、ずっと貴方の側に居ます。きっと、ずっと…

   あなたに出逢えて、本当に良かった

   8月13日 谷上 ゆりあ


 俺は言葉を失った。死ぬ真際にゆりあがメッセージを俺に綴っていた事。ゆりあが難病を背負っていた事。"PASSENGER"が俺への歌だった事。そして、ゆりあがそんなに俺の事を想ってくれていた事…いつの間にか、目から熱い物が込み上げて来た。ゆりあの声も想い出せないのに。ゆりあの顔ですら想い出す事が出来ないのに。何故俺はそんな彼女に涙を流す?遺書の筆跡、懐かしいゆりあの字。でも、何故懐かしさを感じるのかも分からない。ゆりあを想えば想う程、溢れ出す俺の涙…ポツリ、と真っ白な手紙に雫が落ちた。

 ―想い出せない。ゆりあの事、俺の事―

 思い悩む俺の姿を愛香に見せたくなくて、俺は五反田さんの部屋で暫く横にさせてもらった。
「如何です、少し落ち着きましたか?」
俺の顔を覗き込む様に、五反田さんは俺に声を掛ける。
「もう…大丈夫です。」
何が如何大丈夫なのか、そう返事した俺にすら分からなかった。
「家に来た時より、大分顔色良くなってる。」
と、脇から美咲ちゃん。
「…でも、私、ゆりあちゃんの気持ち、分かる様な気がするな…。」
美咲ちゃんは言った。
「夢とか、希望とか…幸せの無い人生なんて辛いだけだよ。ゆりあちゃんは半年後に死ぬって分かってたんだし、きっと、御仕事に追われる今の自分が嫌になったんじゃないかな…。」
「確かに、自分達みたいな成人なら兎も角、高校生で御仕事をされていたんでしょうし、学業との両立も図らなければならない…そう考えると、彼女は自ら星空になる道を選んだんでしょうね。」
と、五反田さん。
「プレッシャか…。」
俺は呟く。
「今の雄大くんはきっと、突然転り込んで来る未知の自分の過去の整理に追われて、それがプレッシャーになってるんじゃないでしょうか?7月の御召の事や、愛香ちゃんの育児の事、運転士としての通常乗務もある訳ですし…。」
五反田さんの言葉に、ふと愛香のあどけない笑顔が恋しくなる。俺は五反田さんに礼を言うと、いそいそと部屋を後にした。

 「ただい…ま。」
俺がそっとドアを開ける。と、同時に駆け寄って来る愛香の足音。
「お兄ちゃん、おかえり!」
「実結は?」
「明け(※4)だって。」
親代わり2人が乗務員だと、3人揃って寝る事も出来ない日もよくある。愛香とじゃれ合いながらも、改めて鉄道員という仕事の不規則性を実感する。
 そういえば、愛香も有名では無いにしろ、TV子役なんだよな。供給量に対し需要量が極端に少ない子役の世界で、多くは無いけれども仕事を持つ愛香。その澄み切った瞳には重圧の文字は見えない。けれど…




※1 トリコ 踏切内で立往生した物の事。主としてエンスト等で踏切内から動けなくなった自動車を指す。
※2 踏切動作反応灯(ふみきり どうさ はんのう とう) 踏切の遮断機が完全に閉まった事を乗務員に知らせる物。黒い正方形に×の灯火が多い。
※3 特殊発光信号機(とくしゅ はっこう しんごうき) 直ちに列車を停車させる必要がある時に、発光信号で乗務員に知らせる信号。回転型や玉蜀黍型がある。
※4 明け(あけ) 夜勤、徹夜勤を終える事。間に仮眠を挟み、翌日の始発列車に乗務する行路等もある。

40話 星空の下 へ

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