41 sunny islands

 「前部標識良し!」
勝島さんに合わせ、俺は泉岳寺のホームに進入する608編成の前面を指差す。背後から迫る沢山の見物人の気配が、これが他でもなく本番である事を感じさせる。
 敬礼なんて滅多にしない都営地下鉄の運転士でさえ、この日ばかりは引継ぎ時に大きな声で列車状態を報告する。
「臨1198H列車、臨時8両、異常有りません!」
運転士の上擦った声からすらも、定期列車の合間を縫って引かれた壮絶なスジと、御召仕業自体の緊張感が伝わってくる。
「御願いします!」
「御疲れ様でした!」
「敬礼!」

 わずか20秒の運転停車。勝島さんの行うブレーキテストでの緩解音が地下駅に木霊する。長年遂行してきた貫禄と迫力のある喚呼は、外のギャラリーはもとより、車内の要人でさえも興味深げに覗いていた。
「出発進行!ATS良し!」

 地下トンネルを出て直ぐに品川、北品川の駅を抜き去り、鮫洲で普通車、平和島で急行を追い越す。通過待ちをする都市公団の9000形を横目に、京急蒲田を定時で通過する。何時に無く順調だ。
「進行!」
前方の電車も後続の御召を遅らせまいとしているのだろうか。六郷川の土手に上がると同時に見える青空の様なグリーンランプは、この電車が何の異常も無く走行している事を証明していた。

 「到着定時!」
神奈川新町に運転停車。揺れを全く感じさせないテクニックは、流石は"神"とでも言うべきであろうか。
「おい、馬堀。」
「はい?」
そんな"神"は俺にこう告げた。
「お前さん、運転してみろよ。」
―――!?
「いや…でも…」
「いいから!時間が無いんだ、早くしろ!」
…マジかよ。
 動揺を隠せないまま俺は運転台に着く。あの1185Hから、ずっと恐れてきた600形…壁一枚隔てた後には、TVで見たような各国の首脳達の本物が本当にこの電車に乗っている。…発車時刻は迫り来る。
 出発信号機が抑速現示から進行現示に変わった。ふと、俺の中で何かが吹っ切れた。
「出発、進行!ATSよし!」
白い手袋でハンドルをきつく握り緊め、手前に引く。餓えた獣が目を覚ましたかの如く、電車はぬるりと動き出す。俺の目には、只管前に続く線路のみが見えていた。

 「場内、進行!」
横浜駅のホームに進入すると同時に、右足で強く警笛を踏む。人で溢れるホームの側を、充分速度を落として進む。勿論、ブレーキを掛ける際も微動だにしなかった。いや、俺の中の"何か"が、そうさせなかった。
 圧力計と速度計を注視しながら日ノ出町を通過。自分の手足の様に動いてくれる車輌に、1185Hで感じた違和感は消え失せていた。今まではモヤモヤとしていた何かが、少しずつではあるが車輌の気持として読み取れるようになった。そんな気がする。
「上手いじゃねぇか…。」
勝島さんが感心の一言を洩らす。もしかして、俺はテストされていたんじゃないのか?突然の添乗乗務や乗務員交代…予め、俺を試す為に?
「面白ぇな。」
上大岡を通過する直前、俺はそっと呟いた。

 警笛を軽く踏み、フルノッチで加速する。高速域の「伸び」のある608編成の独特の加速が足の裏、膝、胴、腕…と伝わってくる。開け放した乗務員室の窓から、心地よい風が流れてくる。何時もなら大声を上げて喚呼する勝島さんでさえ、閉口したまま俺の手元と進行方向を見つめている。
「進行!」
運転台には、俺の召呼のみが響いていた。

 京急久里浜、YRP野比で対向列車交換の為運転停車。そして、次の京急長沢でも交換。この辺りは、定期列車のスジを縫って引いたスジの無理様が見えてくる。
「出発、停止!」
3度目の停止信号を確認すると、対向の電車の到着を待つ。複線化を見越して作られた京急長沢のホームは、どこかもの寂しげな感じがした。
 対向の1700形SH快特がホームに進入する。待ちかねていた緑の色灯。出発信号機の進行現示。
「出発、進行!ATS良し!」
俺は再びマスコンを入れた。
 ポイント通過の45km/h制限を越えると、風景も一段と変化してくる。つい1時間前までは都心に居たのに、もう電車は三浦半島の中腹だ。強めのカントの右カーブを曲がり津久井浜を通過すると、左手に見える海。吹き込んでくる風も潮を含んだ涼しい風に変わる。
「場内、注意!2番!制限40!了解、三崎口停車!」
車掌からの連絡単打ブザを受けると、俺はブレーキングの体制に入った。

 ATSの表示灯が白色から45km/h制限の黄色に移る。車輌を揺らさない様に小さめのブレーキを圧力計を見ながら掛け、速度がジャスト13km/hになると、B点をテンポ良く通過。車止めも見え、ATS表示灯も赤色になる。10m、7m、4m、1m、50cm、30cm、10cm…1cm…3mm……0。ピタリと車輌は停車した。
「到着、定時!ブレーキ非常!レバースハンドル「切」位置良し!マスコンキー抜取!」
三崎口に定時で到着。各国の要人達は警備員や職員達に付き添われながら、会場へ向かう車へと移動して行った。
「御疲れさん。」
勝島さんがポン、と俺の肩を叩く。
「勝島さん…今日の…。」
「ああ、予め仕組んだテストだ。結果も文句無しだな。」
 一泡吹かされた…って、こういう事を言うんだな。空気が抜けるように全身の力、そして緊張が解れる。俺は俯き、小さく笑った。

   ―

 実結はちらりと時計を見る。
「12:16」
今頃なら俺の運転する御召列車は終着駅の三崎口に到着している。乗務開始から今現在まで御召列車の運行に関する遣り取りが指令で無い。つまり、俺の列車が無事に到着したという事である。それを確認し、実結は胸を撫で下ろす。
「まもなく羽田空港、終点です。」
アナウンスをし、実結の乗る北総7300形は羽田空港に到着する。
 車内で遺失物や残った乗客が居ないか点検する為に小走りで車内を点検すると、終点に到着して乗客が居なくなった車輌の隅に、30代位の女性が1人座っていた。不思議に思い、実結は声を掛ける。
「お客さん?」
その女性は、口を開いた。

   ―あなたが、富浦…実結さんですか?―

42話 小川のせせらぎ へ

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