11 メロディー

 あの日から、俺は学校とバイトと子育ての両立をがんばっている。愛香も幼稚園に通い、愛香なりにがんばって二人で助け合いながら3年の時がたった。

   1998年 6月4日

 17、18、19・・・デジタル腕時計の秒表示をひどく気にしながら、俺は5歳の愛香と一緒にテレビの前で備えていた。この天気予報が終わったあと、愛香の初テレビが映るのである。愛香が「テレビに出たい」といって早3年。デビューはコマーシャルらしい。
「東京は降水確率40パーセント・・・」
天気予報士は長々とレポートをしている。ように感じる。愛香のコマーシャルが見たいがために、そう感じるのかもしれない。
「お出かけの際は傘をお持ちになったほうがいいでしょう。」
長い長い天気予報は終わった。
「来る。」
凄い緊張が背筋を走る。自分自身のことでもここまで緊張したことは記憶になかった。
 画面は切り替わる。夜空が映し出されたと思うと、その空に花火が舞い、画面は地上に戻る。そして、男の子と手をつなぎながら花火の下のカーニバルを見ていたのは、確かに愛香だった。
「あ、愛香・・・。」
思わず呟きをもらす。画面は再び花火に戻され、「フレイムナイトカーニバル」なるロゴが出され、アニメのキャラクターらしい着ぐるみと愛香が抱き合いながら、
「みんな来てね!」
で締めくくられた。東京近郊のあるテーマパークのコマーシャルらしい。
 コマーシャルは終わり、他のコマーシャルに変わる。俺は体中が麻痺したように、口が開いたままテレビを見たままの形で止まってきた。不安に思った愛香が手を肩に置こうとしたとき、俺はやっと我に帰った。
「愛香!すげぇよ!愛香ー!かわいい!俺、感動した!」
心の中で考えているまもなく思ったことがすぐ口に出たのは初めてだ。きっと、さっきの俺は驚きのあまりフリーズしていたのだろう。
「お兄ちゃん!」
「愛香!」

 1秒ほど見つめ合った後、愛香は目に涙を浮かべながら抱きついてきた。
「私、やっとテレビに出られたんだね!」
「うん、すごいよ!」
「お兄ちゃんが喜んでくれたのが一番うれしい!」
その愛香の言葉が俺はうれしかった。
「大変だったんだよ、あのコマーシャル撮るの。雨降っちゃったり何度も失敗したり・・・」
愛香は俺の腕の中でロケの話をしてくれた。たった15秒にこれだけのドラマが詰まっているとは思わなかった。俺のような普通の人間では多分一生味わえないようなことを、愛香は話してくれた。
「でも私、これからももっともっとテレビに出るんだ!」
最後はこの言葉で結ばれた。俺は、
「がんばれよ。」
とやさしく返した。

 「よし、今日はお祝いだ。」
「うん。」
「何食べたい?」
「うーん。ケーキかな。」
「了解。ちょっと待っててね。」
 俺はひとっ走りケーキ屋まで急いだ。頭の中はうれしさで一杯だった。昔では考えられないだろう。愛香と一緒にいると、なぜか楽しい気がする。

 「買ってきたよ!」
少し息切れ気味で、愛香にケーキを渡した。俺は冷蔵庫から缶ジュースを取り出すと、愛香はケーキ1個をもうすでに食べ始めていた。
「あ、あ、ちょっと待って。」
「?」
愛香は口にケーキを運ぶ手を止める。俺は少し思い切って、
「これから、馬掘愛香ちゃんのテレビデビュー祝賀会を始めます。」
愛香は笑みを浮かべながらパチパチと拍手する。俺は続けた。
「まず最初に、本日、テレビデビューを果たした馬掘愛香ちゃんの挨拶です。」
俺は愛香に目で合図する。俺と愛香2人しかいないこの部屋の中で、愛香は俺に不思議そうな顔で、
「こんにちは。」
と言った。
「あ、なんかしゃべればいいの。」
そうか、まだ挨拶の意味を知らないのか。これはまずかったか?
 愛香はしばらく黙って考えた後、
「もうケーキ食べていい?」
愛香は待ちくたびれたように言うので俺は、
「いいよ。」
とあきらめてケーキを食べさせた。そんな愛香がかわいいと感じた。愛香は再びケーキを食べ始めた。
 10分ほど食べ続ける愛香に、俺はこう呟いた。
「なんだか先越されちゃったかな。」
「ん?」
一瞬、愛香は不安そうな顔になる。
「そんなことないよ。ただ、愛香はよくがんばったよと思って。」
「ありがとう。」
愛香は少し照れくさそうに言った。俺もなんだか少し照れながら
「おめでとう。」
と言った。
「よぉし。今度は俺ががんばる番だな。」
「うん!お兄ちゃんがんばって。応援してるよ!」
俺は立ち上がって、愛香に笑って見せた。俺という旋律(メロディー)は、京急へ向けてまた流れて行く―


第12話 線路の彼方 へ

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