12 線路の彼方

   1999年、2月27日
 電話の前で、俺は朝からウロウロしている。
「お兄ちゃん。何してんの?」
いつもとは違うソワソワした俺に愛香は聞く。
「電話待ってんの。」
この電話は、京急への内定を示すものだった。俺は3日前、新入社員の面接に行ってきた。過去の記憶の消失でほぼ真っ白だった履歴書が心残りだ。
「誰から?」
愛香はさらにたずねた。
「京急の人から。」
「鮫洲さん?」
「いや、人事担当の人。」
「ふーん。」
愛香は「よくわからない」という顔で俺を見た後、美咲ちゃんとの遊びを再開した。美咲ちゃんは五反田さんの親戚で今、6歳の女の子である。
 俺は再び、ソワソワに戻り始めた。電話機の前で3歩歩いてUターンし、また3歩歩いてUターン。それをずっと繰り返していた。ふと、時計を見る。まださっきから10分しか経っていない。こうやってウロウロしているのもつまらない。と思い愛香と美咲ちゃんの遊んでるほうに向き、
「俺も入ってもいい?」
電話の前でウロウロしているより愛香たちと遊んだほうが良い。その判断からの言葉だった。
「いいよ。」
美咲ちゃんは言う。
「何してるの?」
「お人形さんごっこ!」
一瞬、やめておけばよかったと思い返す。でも、別によかった。
「でも、お兄ちゃんお人形さん持ってないよ。」
愛香は言う。続けて愛香は思い出したかのように、
「あっ、そうそう。この間美咲ちゃんがお兄ちゃんのこと好きだって言ってたんだよ!」
「えっ!?」
 俺がその言葉の内容を理解しないうちに美咲ちゃんは顔を赤らめて
「言わないって約束したじゃん!」
と言い捨てると愛香は「ごめん。」と言うが美咲ちゃんは目に涙をためて俺に抱きついてきた。俺は、
「愛香。」
と少しにらんで叱るように言った。ごめんなさいとばかりに愛香は反省の顔を見せる。美咲ちゃんは俺のどうあたりをぎゅっと握りしめ顔をうずめながら泣いていた。「このままじゃまずい。」必然的に俺はそう思った。その時、電話のベルが鳴り出す。
「ちょっと待ってて。」
と、美咲ちゃんをやさしく振りほどくと受話器にかぶりついた。
「もしもし、戸部です。」
「こちら、京浜急行電鉄人事部のものですが・・・」
「あ、はい。先日はどうもお世話様です。」
「・・・・ところで、本日お電話したのは他でもありません。」
「はい。」
次の言葉を聴くまでに、俺の心臓は高鳴っていた。わずか数秒の間が恐ろしく長く感じた。そして、次の瞬間、
「本日、正式に内定が決定いたしました。」
「!!」
俺は石化した。今日から京急の一員になることが信じられない驚きからだった。担当者は続ける。
「後日、書面にて詳細をお知らせします。」
「は、はい。有難うございます。」
「では、失礼します。」
「はい。有難うございます。失礼します。」
受話器を置いた。とたん、俺の目から熱いものがこぼれてきた。
「やった・・・。」
京急の社員になった第一声はこれだった。涙が止まらない。これほど嬉し涙を流す俺に今、自分が一番驚いている。
「どうしたの?どっかぶつけた?」
愛香がたずねる。
「俺、今日から京急に入ったんだよ。」
「へ?」
愛香は首をひねった。美咲ちゃんはまだ泣いている。
「帽子も制服も着てないよ。」
俺は苦笑するとともに、子供の心の清楚さをなぜか感じた。
「今日から京急の社員だよ!」
「おめでとう!」
やっと愛香も理解できたようで、最高の笑顔で俺を祝福した。俺にしがみついて泣いていた美咲ちゃんもやっとはなれて小さく
「おめでとう。」
とつぶやいた。美咲ちゃんの涙はすでに嬉し涙へと代わっていた。いつの間にか愛香もうれし泣きを始めていた。
「みんな、泣いてるね。」
愛香は少し笑みを見せてこういった。これで、俺の願いがかなったんだ。そして、愛香の夢がかなったんだ。でも、まだ終わりじゃない。本番はこれからだ。気を引き締めて、がんばろう。
 俺は、今日から京急の一員だ。今日からは、愛香の親代わりとして、1人の男として、そして、京急の一員として、俺は生きていく―


第13話、春待ち風 へ

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