2 ベルの響き


 それから、彼女、いや、愛香の両親を探し出すのに全力を尽くした。けれども、結局どうにもならなかった。愛香も幼いながら状況がつかめたようでまたないてしまった。
 「今日から、お兄ちゃんと一緒に暮らそう。」
 こう言うしかなかった。というか、思いつかなかった。愛香はうれしそうに、しかし寂しそうに
 「うん」
 と答えた。
―今日から家に、家族が増えたよ―
 別に誰に言ったわけでもなく、俺は報告をした。

 羽田から家に戻る。アパートの外階段を上るとき、俺の背中でぐっすり眠る愛香の呼吸が聞こえた。なぜかどきどきした。まだ汚れのない清楚な少女がこれから一緒に暮らすと思うと胸が熱くなった。そして、今夜俺は女の子と生まれて始めて一緒に寝た。
 育児は、予想を上回るほど大変だった。なるべく早く学校を終わらせて、すぐに帰って愛香の世話をした。愛香を見ているとそんな疲れも吹っ飛んだ。とにかく、かわいいのである。
 こんな調子で、毎日を過ごしていた。
 
 3日ぐらいたって、何となく気づいた。3歳という幼さでたいていのレベルの会話ができ、この期に及んでもすぐに状況を理解しているとなると愛香がとても大人びて感じた。
 5月1日、ゴールデンウィークなるものの最初の日に当たるので貧しい俺だけれども愛香に何かしてあげなくてはと思い四十七士の奉られている泉岳寺に行こうと思い立った。自己の利益にならないことは一切しなかった俺がお寺なんぞ行こうと思ったのも愛香に出会ったからかもしれない。早速、
 「愛香、お寺参りに行こう。」
と誘うと愛香は
 「お てら? お寺!お寺!!」
などと言いはしゃいでいる。たぶんまだ「お寺」を知らなかったんであろうがもう覚えてしまったようだ。早い。
 家を出てアパートの外階段を下る。このときに目に付くのがかなり大きなクレマチスの花である。これを育てているのは202号室の鮫洲さんで園芸を趣味とする京急の主任車掌である。このアパートは2階建てで1,2階とも4部屋あり合計で8部屋。うち管理人のすむ101号室と俺が住む201号室を除く六部屋が京急の社員である。俺まで京急に入るとなるとほぼ社宅状態になってしまう。
 ごみ置き場の脇を通りTOPのある交差点を左に曲がる。そのまままっすぐ行くと都営バスの車庫が見えてその先にファミリーマートがある。踏切を渡ると第一京浜に出て右に曲がると駅がある。これからは何度も愛香とこの道を通ることになる。そして今、この道を通っている。駅に着くと都営地下鉄浅草線の泉岳寺までの切符を購入し、ホームで電車を待つことにする。いつもなら品川まで歩くのだが面倒だし愛香のためにも京急に一駅乗ることにした。
 「ブーッ」
というブザーと共に現れる
 「普通電車が到着します。お下がりください。」
の表示に愛香が
 「でんしゃ!でんしゃ!」
と喜んでいた。ずいぶん簡単なもので喜ぶものである。しばらくすると本物がブレーキの音を立ててやってきた。ホームには1000形4連(4両編成のこと)がコンプレッサーの音を立てて滑り込んできた。
 「でんしゃ!でんしゃ!あれなに?」
と幼い声が聞くので
 「これはね、1000形。」
 「せんがた? せんがた!」
 かわいい。本当に愛香に出会ってよかった。

「まもなく終点、品川です。お忘れ物のない様にご注意ください。新橋、日本橋方面の乗り換えのお客様この後参ります急行東成田行きをご利用ください。」
 このアナウンスが終わるころには電車がホームに差し掛かっている短い区間であった。愛香と手をつなぎ電車から降りるとき
「ジャーンプ」
なんていって愛香を抱きかかえながら下りると無邪気な笑顔が返ってきた。ドキッとした。かわいいなんて思うのと同時に恋をしてるんじゃないかという感じがした。第一、昔のことがさっぱり思い出せない俺がなぜこいだと感じるのか不思議でしょうがなかった。
 
 何となくお線香のにおいがしてきた。お彼岸でもないのに、いいやつもいるもんだと感心してしまった。泉岳寺には忠臣蔵でもおなじみのいろは四十七士が奉られているのだが「あいうえお」を覚えたての愛香にこんなことを言うのもなんなので四十七士のことは触れないことにした。
 それでまぁ、ご高齢の通り、本堂でおまいりのメインであるお祈りをする。後から思ったのだが一度にこんなにたくさんお願いをされてこれを実行するとすれば仏様も相当なものである。手と手を合わせながら
「愛香の両親が早く見つかりますように」
「愛香が健康ですくすく育ちますように」
「愛香に不幸なことが訪れませんように」
 という具合に、愛香に関するピンからキリまで200近くのお願いをした。そのとなりで
「またあの赤い電車に乗れますように」
などとよくわからん願い事をしている少女がいる。愛しい愛香。
「愛香ぁ〜」
思わずかわいくてうなってしまった。きらきらした目がこちらを見つめている。
「私なんか変なことした?」
と問いかけるような瞳でこちらを見ていた。かわいすぎる。

 それで、いたって普通のお参りをしてきた。おみくじでは「凶」が出たが愛香がここにいること自体「大吉」だと思う。
「ゴーン、ゴーン」
という鐘の音色が鳴っていた。夕焼けがきれいだった。とってもきれいだった。景色とか、風流とか、侘びさびとかそういう類のものにまったく関心のない俺でもわかるぐらいきれいな夕焼けだった。その夕焼けの中に、天使が俺の隣にいる。つまり、愛香がいる。ほっぺたに一筋、天使のしずくが伝った。俺ははっとした。愛香はさびしくてないているのか?
 「夕焼け、きれいだね」
もっときれいな天使は、そうつぶやいた。

3話 Mellow time へ

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