21 Gota del vient

 翌日、俺は一滴の希望を信じ、実結に愛香のことを相談しようと決意した。
「乗務点呼願います。A048仕業、運行は戸部、添乗は勝島です。」
点呼台で点呼を受ける俺、マンネリ化した運転士生活が吹き飛ぶぐらい緊張していた。それは、仕事のことなど関係なくあの実結に相談を持ちかけるためだった。結局、点呼の内容は上の空だった。
 点呼も終わり乗務の準備をしている俺に、勝島さんはこう言った。
「お前、(運転とは)別のことで緊張してんだろ?」
「は、はい。」
俺は、何気なく返事をした。が、次の瞬間、勝島さんは俺を怒鳴りつけた。
「べらんめえ!!」
たじろぐ俺、ざわめく職員。勝島さんは独特の江戸訛でこう言いつけた。
「お前なぁ、京急をなめてんじゃねぇよ!お前みてぇに出来が良くても運転に愛と熱がこもってなきゃ何の意味もねぇんだよ!仕事に関係ねぇことは仕事中は忘れちまえ! 」
勝島さんに、俺は何の抵抗も出来なかった。いきなり怒鳴りつけられた事に怒りを覚える間も無く、
「お前は京急の運転士なんだ。忘れんな。」
と付け足した。
「弱っちい顔してんじゃぇ。行くぞ。」
俺は、勝島さんの怒鳴り声が耳に残ったまま乗務区を後にした。
「勝島さん。熱が入りすぎなんですよ。」
「またいつものパターンやで。」
「この前も新人車掌に怒鳴ってたでしょ?」
「ああ、4月に入ってきた・・・」

 でも、やはり実結の事は忘れられなかった。未だ心臓の鼓動が聞こえる。乗務を終えて乗務区に戻った俺は、出勤表を見た。
「車掌 上田実結」
その名札は、A290仕業の欄に「出勤」と書かれたマグネットと共に貼り付けてあった。A290仕業、退区は17時10分だ。俺は時計を見た。16時57分。少し待てば実結に会える。俺は、其の場で実結を待つことにした。仕事が終わっても乗務区に残る俺、自分でも何をやっているのか解らなかった。僅か13分の待ち時間がひどく長く感じた。

 実結が、指導車掌と一緒に乗務区の扉を開けた。
「A290仕業、退区点呼終わります!」
実結は幼いが何処か凛々しい大きな声で退区点呼を受けていた。初老の助役が
「お疲れ様。」
と一声掛けると、実結は微笑んで返し足早に歩き始めた。その先は、出勤表だった。実結は必死に誰かの名前を探していた。そして、暫くするとがっかりしたような表情で歩き出そうとした。
「雄大くん!?」
実結は、俺の顔を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。
「何でここに?出勤表には"終"って書いてあったのに。」
恥ずかしくて、正直なことを言えなかった。目線を逸らしながら俺は口を開いた。
「・・・別に。」
実結は、縋る子犬のような表情を見せた。
「じゃあ、またね・・・。」
そういい終わると、実結は歩き出そうとした。
「実結!」
俺は、叫ぶように実結の名を呼んだ。緊張のせいか声が馬鹿でかく、上擦っていた。
「何?」
黒髪をなびかせて、実結はこちらを振り向いた。
「・・・今日、空いてる?」
俺は、照れくさかった。トギマギする俺の質問に、実結は微笑した。
「うん。空いてるよ。」
「あのさ、忙しいとこ悪いんだけど、一緒に帰らないか?」
「えっ・・・?」
実結は、頬を赤らめた。次の言葉が聴きたい。でも、怖い。実結が言葉を発するまでの数秒の間が、とても長かった。
「・・・うん。帰ろう。」
嬉しそうに実結は、俺と一緒に歩き始めた。

 新町のホームで普通車を待とうと、俺たちは駅のベンチに座った。沈みかけたバーミリオンの夕陽に照らされた実結は、俯きながらこう言った。
「今日、私も雄大くんと一緒に帰りたかったんだ・・・。」
口を閉じた実結に、俺は思い切って告げた。
「今日、俺の家来ないか?俺、実結に話したいこと一杯あるんだ・・・。」
夕陽を遮るように電車が来ると、実結はコクリと頷いた。

 「ここが、雄大くんのお家?」
「ああ。」
「「追浜壮」の"壮"の字、間違ってるよね。」
「・・・多分。」
こんな取り止めも無い会話しか出来ない俺が情けなかった。俺、何時からこんな弱い人間になったんだ?
 俺は実結に、愛香を紹介していないことを思い出す。
「俺、小学2年生の女の子と暮らしているんだ。」
実結は、俺の言葉を疑った。でも、「嘘だ」とは言わなかった。俺は愛香に出会った時の事を実結に説明した。そして、
「愛香が最近、学校でいじめに遭っているらしいんだ。だから、相談に乗ってくれないか?」
実結は、
「わかった。」
と小さく頷いた。俺は、それを確認しドアを開けた。
「ただいま。」
「おかえり、お兄ちゃん。・・・?この人だあれ?」
実結は一息置いた。
「私、上田実結っていいます。お兄ちゃんのお友達です。」
「わぁー。女の子の運転士さんだぁー!」
愛香は、実結の事をすぐに受け入れてくれた。

 実結は、声を潜めてこう言った。
「雄大くん。悪いんだけど、ちょっとの間で良いから抜けてくれる?多分、愛香ちゃんもお兄ちゃんがいると話づらいんじゃない?」
俺は、頷くと立ち上がった。
「愛香、買い物行ってくる。」
俺の考えに考えた嘘だった。
「私も一緒に行く!3人で行こ!」
「悪いんだけど、留守番してて。」
「はーい。」
俺はドアを閉め、耳をそばだてた。

 「愛香ちゃん、愛香ちゃんが何が好き?」
「えっ?赤い電車と・・・お兄ちゃん!」
「お友達は?」
「美咲ちゃんと、まなみちゃんとえみりちゃん。」
実結が暫く間を置いた。
「学校は?」
「・・・お兄ちゃんに内緒?」
「ん?いいよ。」
「私、学校嫌い。沢山の人が私の事からかったり、ぶったり・・・ノート破られたり、教科書隠されたり・・・」

 夜の街に、一滴の風が吹き付けた。実結、愛香に何て言うんだろう―。


第22話 こころ へ

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