5 夏色の時間

 「戸部くーん。あそぼー。」
 鮫洲さんの長女のまなみちゃんだった。おもむろにドアを開けると、やはりかわいい少女が立っていた。
「公園行こう!」
「う、うん」
 初勤務で疲れているのに容赦もなく外に連れ出される。
 砂場で泥だらけになったり、ブランコに乗ったり、滑り台を逆行したり、なぜか懐かしい気がした。過去・・・。思い出せない。過去の記憶はないはずなのになぜ懐かしいんだろう。なぜ、昔のことがさっぱり思い出せないんだろう―
  「あ、もう5時だ。帰ろう。」
 子供って、きれいだなぁ。結局、鮫洲さんの家まで送って行き、俺は帰宅した。
 「そろそろ、愛香を迎えに行かなければ。」
 そう思い立ったのは、帰宅してから15分後の5時21分だった。品川まで行き山手線に乗るため第一京浜をまっすぐに歩くと、八ツ山橋が見えてくる。ここは京急でも有名なスポットで恐ろしいほど急なS字カーブを25km/hで通過していく京急の「かっこよさ」を満喫できると共に、とても見通しの聞かない大きな踏切があり、交通のネックにもなっている場所だった。
「カンカンカンカン・・・・・・・・・・・」
の後に
「ファーン!」
という警笛が聞こえ重々しい音を立てながら電車が走ってゆく。車両は都営の5300形だった。ちなみに、八ツ山橋はゴジラが日本にはじめて上陸したとされる場所であるそうだ。もし現実にそんなことがありえたなら京急の明日はなかったかもしれない。
 昨日買っておいた品川〜五反田間の定期は、まだ新しいにおいがする。ホームでじっと「JR」のロゴが入った定期を見ていると山手線の205系が入ってきた。面白いことに「電車」といわれるとたいていの人がこの車両を思い浮かべる。山手線の知名度はすごい。1番前の運転台のすぐ後に立って見ているとだらけた運転士が指差確認喚呼(しさかくにんかんこ 指を差して「出発進行」などの声を出して確認すること)もせずにマスコンハンドル(車でいうアクセルのようなもの)のノッチを入れた。殴ってやろうかと思った。なぜなら、鉄道の運転士というものはとても大勢の人があこがれた職業であり自分もあこがれている。そんな憧れの対象がこんなふぬけているのは許せないという感情が湧き立ったからである。俺は小さく舌打ちをした。そんな間にもカーブにある五反田駅に電車は進入、停車した。ドアが開き、車内にいた一部の客は出口に向かって歩き出す。そのあいだに「ドドドドドドドドドドドド・・・・・・・・」というような湧き立つような勇ましいような感じの発車メロディーが流れる。このメロディーは好きだ。そして自分も電車を降り、愛香のいる劇団のあるところまで迎えに行った。なぜか愛香は目に涙をためている。
「どうした?」
聞くと、
「4時半って行ったじゃん!」
 しまった。1時間間違えてしまった。相当お怒りのご様子である。当たり前だ・・・。

 「ごめん、帰りにアクアライトとウエファー買ってあげるから。」
と、約束し愛香を背中におぶって駅前まで行き、東急ストアでその品を買った。アクアライトというのはアクエリアスの乳児用のようなものである。そして、愛香の大好物でもある。
 五反田のホームに入ったが、やはり泣いていたので秘密兵器を出す。テープレコーダー。音量をかなり小さめにして再生する。
「ヒイイィィィィィイィィィン・・・・ガタン・・・ガタン・・・・」
 京急の音である。これを聞くと愛香はすぐ泣き止む。現実に今、泣き止んでもうケロッとしている。事実、電車の音などの一定の周期で音が鳴るようなものを聞くと赤ちゃんはすぐ泣き止むらしい。不思議だ。
 山手線の仲では結構ムスッとしていたが京急に乗り換えると笑顔が戻ってきた。京急が好きみたいで時々、
「赤い電車の運転士さんになる!」
とか行っている。きっと本人はテレビに出ながら京急の運転士になるという過酷な人生を送るつもりらしい。幼いもんだ。
 
 早速帰宅後、ちゃぶ台の上にビンのふたを開けたアクアライトをのせて、その前に愛香を座らせてそれを飲ませた。実にうまそうに飲んでいる。
「飲む?」
 はぁ?と思わずいいそうになったが決して愛香は馬鹿にしていっているのではない。あまりにもおいしそうに飲んでいるので
「うん。」
とこたえると
「はい。」
といってビンを渡してくれた。ビンは愛香が口をつけたあったかい感じがまだ残っている。飲み口に口を当てたとたん愛香のにおいがしてそれで暖かくってドキドキした。飲んでみると以外においしかった。しばらく、そんなやり取りを続けていた。こんな無邪気であどけない少女を自分のものにしてしまったことが信じられない。
 ぼうっとしていたら愛香が
「私ね、お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
 愛香の顔を見た。本当にうれしそうな笑顔だった。
「今日の帰り、お兄ちゃん来てくれないって思ってね、それでね、泣いちゃってさ。ずっと一人で泣いてたんだけど、そしたら、そしたらお兄ちゃんやっぱり来てくれたんだもん。」
1時間という時間は2歳児にとってとても長い時間だったらしい。
「俺は、いつでも愛香のそばにいるよ。」
「じゃあお嫁さんになってもいい?」
「もちろん。」
梅雨の前の初夏の、夏色の時間は、幼い少女のプロポーズだった―


第6話 古いオルゴール へ

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